FRBの過去の金融政策と議長

米国株への投資においてFRB(連邦通貨準備制度)の金融政策を知ることは欠かせません。

中央銀行の役割を果たすFRBは、主に米ドルの発行、政策金利の決定といったマーケットへ重大な影響力を持つ機関です。

今回はFRBの2000年以降の金融政策と当時の議長の発言。それに伴う、株式市場の動きを取り上げて解説していきます。

世界中の金融市場に莫大な影響を与えるFRBへの理解を進めるためにも、ぜひ最後までご覧ください。

過去のFRB議長と金融政策

FRBの上には、連邦準備制度理事会 (Federal Reserve Board of Governors) という統括機関があります。連銀総裁による理事7人(任期は14年)によって構成されており、理事の中から議長・副議長が任命(任期は4年)されます。

2000年以降、4人のFRB議長が金融政策の舵取りを担ってきています。

FRB議長期間
13アラン・グリーンスパン1987年8月11日 – 2006年1月31日
14ベン・バーナンキ2006年2月1日 – 2014年1月31日
15ジャネット・イエレン2014年2月1日 – 2018年2月3日
16ジェローム・パウエル2018年2月5日 ~

いうまでもなく、FRB議長の発言や考え方を知ることによって、金融政策の先行きを見通しやすいといえるのです。

過去のFRB議長が行った金融政策や発言を押さえておきましょう。

アラン・グリーンスパンFRB議長

出所:Wikimedia

グリーンスパンは1987年にレーガン大統領の就任に伴い、FRB議長に指名されました。米国史上前例のない5期もの間FRB議長を務めました。彼の任期で着目すべきは、ITバブルです。

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まずは当時(1998年~2000年)の株価動向をご覧ください。

ITバブル前後のナスダックの株価推移

出所:TradingView

1998年から2000年にかけてS&P500は大幅上昇をしていることが見て取れます。この背景にはFRBの金融政策が関係しています。

米国は1990年の日本バブル崩壊にかけて国内産業が遅れをとっていました。1995年にマイクロソフト社が画期的で多くの人にとって直観的に分かりやすい機能を搭載したWindows95を発表。これが世界的に大反響となり、安価なブラウザソフトの普及も後押ししてインターネット業界が盛り上がりました。

そんな1998年後半、FRBは自国の産業を成長させるために、低金利政策を開始しました。これにより、企業や個人の事業・投資行動のための資金調達を容易にしたため、インターネットビジネスを起業したり、それに投資する人が多く現れて株式市場は急上昇しました。特に新興企業が上場するナスダックの株価指数は大幅に値上がりしました。

ITバブル前後のナスダックの株価推移

出所:TradingView

しかし、最終的には株式相場は最高値から70%もの下落となる暴落に見舞われました。

FRBによって金利が引き下げられたことによって割高な株価が正当化されましたが、同様にFRBによって金利が引き上げられると割高な株価が否定されて、急落を引き起こしたのです。

当時は”ニューエコノミー”と呼ばれてインターネットビジネスの持続的成長が期待されていたのですが、その熱気はFRBの低金利政策によるところが大きかったと言うことでしょう。

ただ、当時のITバブル期に創られたAmazonやGoogleなどと言った企業は2021年にはGAFAMという巨大コングロマリットとなり、今もなお堅調に成長していることも事実です。

グリーンスパンFRB議長の名言

グリーンスパン氏は、金融政策の行方について絶妙な言葉や語り口調で市場関係者を幻惑しつつ、巧みに市場金利を望ましい水準に誘導しました。そのことから、「金融の神様」や「マエストロ」といった名声をほしいままにしていました。

そんな彼は、数々の名言を残しています。

1996年12月には、S&P500の年間上昇率が約21%となったことから「根拠無き熱狂」という言葉を使用して株式市場に疑問を提示しました。

そして、2005年2月に行われた米国議会公聴会では、「FRBが政策金利の誘導目標を1.5%

引き上げたのにもかかわらず、長期金利はこの数か月、低下傾向をたどってきた。債権市場は世界的に予期せぬ動きを示しており現在もコナンドラム(謎)のままである」と発言。

金融の神様、グリーンスパンにも解けない「謎」があり、独特の響きを持つ用語の奇抜さと相まって、流行。これを聞いた金融関係者は何人もグリーンスパンの執務室に「ラベルに”謎”と書かれたワインを届けた」という逸話もあります。

ITバブル崩壊後の2002年には「バブルは崩壊して、初めてバブルと分かる」という名言を残しました。

2006年に退職した後は、サブプライム、リーマン・ショックで巨額な資産を築いたヘッジファンド、ポールソン社のアドバイザーに就任しました。

ベン・バーナンキFRB議長

出所:Wikipedia

バーナンキ氏は、2006年にブッシュ政権によってFRB議長に指名されました。ヘリコプター・ベンという異名を持ち、超ハト派として知られていた人物です。

彼の任期の間にはサブプライム、リーマン・ショックが起こり、前代未聞の舵取りを迫られることになりました。

ブプライム・ショックとは?サブプライムローンの概要から発生の原因まで解説

リーマン・ショックはなぜ起きた?発生の原因から世界の株価への影響

リーマン・ショックは、不良債権による住宅バブルの崩壊で世界中の金融市場が大幅に下落しました。これに対してバーナンキ氏は、ゼロ金利政策やバランスシートの拡大(量的緩和)を行うことで景気回復と金融機関の救済に尽力。2010年代の株価が強含むの基礎をつくりました。続くオバマ政権も、彼の金融政策は支持され再任を果たしました。

任期中に行った主なFRB金融政策

▼第一段

量的緩和第1弾(QE1):住宅ローン担保証券などを1.75兆ドル買い入れる

期間:2009年3月から1年間

▼第二段

量的緩和第2弾(QE2):米国債を6000億ドルの購入

期間:2010年11月~2011年6月

▼第三段

量的緩和第3弾無制限緩和(QE3):住宅ローン担保証券を月額400億ドル購入。月額450億ドルの国債の買い入れと合わせて月850億ドル規模。期限や総枠を設けない無制限な金融緩和を実施した。

期間:2012年9月~2013年12月に縮小が決定、2014年10 月末に終了

・その他

2012年1月25日、インフレターゲットの導入を実施

ジャネット・イエレンFRB議長

出所:Wikimedia

イエレン氏はオバマ政権においてFRB議長に指名されました。彼女はバーナンキ時代に副議長を務めており、彼の金融緩和のスタンスを継承しました。バーナンキ氏と同様のハト派として知られていました。

2014年には、「経済の正常化を示すため」として利上げが好ましいと示唆し、2015年に実行。バランスシートの縮小は年内に完了し、金融危機以降長らく続いた資産買い入れを終了しました。

任期中、バランスシートの縮小と利上げを行いながら、株価は堅調に推移。マーケットとの対話に成功したと言えます。

イエレン・ダッシュボード

イエレン氏が利上げを実施するにあたり重要視するとされる9つの雇用関連指標を、米国メディアがイエレン議長の講演、会見などを基に9つの指標に分類し、報じました。これは、イエレン・ダッシュボードと呼ばれましたが、イエレン氏本人が正式に発表したものではありません。

▼イエレン・ダッシュボード

  1. 非農業部門雇用者数 ★
  2. 失業率 ★
  3. 労働参加率 ★
  4. 広義の失業率 ★
  5. 長期失業者の割合 ★
  6. 退職率(Quits rate)
  7. 求人率(Job openings rate)
  8. 採用率(Hires rate)
  9. 解雇率(Layoffs and discharges rate)

★米国雇用統計で発表される指標

ジェローム・パウエルFRB議長

出所:Wikipedia

パウエル氏は、2018年にトランプ政権によって指名されました。彼はリーマン・ショック以降の金融緩和の出口を見出し、就任からしばらく政策金利の引き上げを行っってきました。トランプ政権下で景気が好調であったことや、利上げの影響で世界中から資金が米ドルに還流しました。

パウエル氏の仕事は、金融政策を推し進め、膨れ上がったFRBのバランスシートを正常化することと言われています。

2018年末には、市場予想よりも金融引き締めを進めた影響から株価が大幅下落。2019年初には、フラッシュクラッシュと呼ばれる瞬間的な株価の急落も経験しました。こういったことからか、トランプ政権から利下げの圧力が掛かったとされています。2019年の後半には、これまでのスタンスとは一転して利下げに転じ、株式市場は半年で10%程度上昇しました。

コロナ下での金融政策

2020年2月には新型コロナウイルス感染拡大により株価が暴落(S&P500は約-30%)し、景気が悪化。これに対応するために、2020年3月末にはFOMCを臨時で開きゼロ金利政策にするという機動的な動きを見せました。さらに、総額370億ドルの米国債の購入を行い、月額1200億ドルの資産買い入れを事実上無制限の量的緩和策を開始しました。なお”事実上”というのは”必要に応じて”資産を買い入れることに由来します。また、金融危機により不足する米ドルを供給するために、最大2兆3000億ドルものドルを市場に流通させました。

結果としてS&P500は最安値からは60%程の上昇となり、金融相場が始まりました。

同時に通貨価値が漸減していくことから、インフレリスクが台頭。金や不動産から仮想通貨市場にヘッジ資金が集まり、ビットコインやイーサリアムの時価総額拡大にも寄与する結果となりました。

インフレは一時的

ワクチンが普及し、米国はコロナからの脱却の最中にあった2021年6月、米議会下院の公聴会で「インフレは一時的」だと発言しました。その後も、一向にインフレの高止まりが収まる気配がなく、FRB要人も懸念する発言を行っていました。しかし、パウエル議長は一貫して「インフレは一時的」との認識を繰り返しました。

結果的に、原油高やサプライチェーンの混乱がさらなるインフレを加速させ、9月には2021年内に量的緩和策の段階的縮小(テーパリング)の開始を示唆する発言を行いました。

2010年代とは異なり、FRBは早い段階からテーパリング、金利引き上げといった将来を見据える発言をして暴落の予防線を張っています。ただ、実際にテーパリングが確実視されると株価は調整局面を迎えました。

たとえば、2016年以降のトランプ政権のもとで好景気を維持していたアメリカ株式市場も、2018年後半の3回にわたる金利引き上げでは多くの株式が一時的に低迷したと言う事実があります。FRBがどれだけテーパリングを織り込むように市場と対話を行ったとしても、金融引き締めに向かう際にはある程度の調整は避けられないといえそうです。

金融引き締めで売られやすい株式

金利引き上げで特に大きなダメージを被るのは”割高株”です。割高株の判断基準とされるのが”PER”です。PERとは年間の利益に対する時価総額が何倍かを計算する指標で、この数値は一例として15程度が適正とも言われます。

しかし、低金利政策の下では新興市場(特にIT分野)で100倍や1000倍ともなっている会社が散見されます。

裏を返せば、PERが低い株式に関しては大きなダメージを受けづらい傾向もあります。

たとえば2018年の後半におけるS&P500の低迷期に、生活必需品のメーカーはS&P500に比べて下落幅が小さい、もしくは上昇している株式もありました。生活必需品の販売は1年後に年間の利益が2倍や3倍になったりすることは考えづらく、株価が割高になりづらいという背景があります。一方でIT分野の会社は、1年後に利益が10倍や100倍になることもあり得るために株価が割高になりやすいと言うことです。

FRBの金融政策と米国株価との関係まとめ

今回はFRBの金融政策と株価との関係についてまとめました。FRBが金利引き下げを行うと企業や個人の資金調達(借り入れ)が容易となるために景気が良くなりやすいこと、金利引き上げを行うと高いPER株の割高株を中心に下落しやすいことを紹介しました。

またFRB議長は、それぞれが注目している指標があり、その変化に応じて金融政策も変わってくることが分かります。

株価、為替、商品など全ての金融商品に影響を与えるといわれるFRBの金融政策を少しでも見通すためにも、過去の金融政策や議長の判断基準などを押さえておくことが金融市場の羅針盤となるのではないでしょうか。

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