年俸4000億円!ヘッジファンド報酬ランキング常連のデビッド・テッパー

ヘッジファンドマネージャーの報酬ランキングの常連、デビッド・テッパーをご存知でしょうか。年25%以上の収益を上げるヘッジファンドを運営しており、1年で149%という異常値を稼ぎ出したこともある凄腕のファンドマネージャーです。

そんなデビッド・テッパーの経歴や投資手法、成功ストーリーを紹介します。

デビッド・テッパーとは

世界屈指のヘッジファンド、アパルーサマネジメントの創業者でありファンドマネージャーです。学生時代はアメリカンフットボールで鍛え、豪快な運用スタイルが持ち味です。

11歳の時に、父親が株式投資をしていたのを見て投資に興味を持ったそうです。

ピッツバーグ大学で経済学を専攻し、卒業後に銀行の証券アナリストとして勤務。しかし、学歴の影響か社内で不当な扱いをされたとして、MBAを取得するためカーネギーメロン大学のビジネススクールへ。2年後にMBAを取得した後は、リパブリック・スチール社へ入社し財務担当となります。

その後、転職を経て念願のゴールドマン・サックスへ入社。ジャンク株を担当し良い成績を収めます。ゴールドマン・サックス在籍時代は非常に優秀で、誰よりも高い数字を上げ、会社に利益をもたらしてきたそうです。しかし、勝つことにしか興味のないテッパーは、意欲的でない同僚からは煙たがられました。また他部門の業務を奪ったり、違法取引の可能性を懸念し通告し、上層部に怒りを買うなどを行ってきたため、社内でコミュニケーションが取れておらず何度も昇進のチャンスを逃したそうです。

パートナーの座も狙ったものの何度となく失敗。その結果、8年間勤めたゴールドマン・サックスを辞め、独立することにしました。

1992年に同社を退社し、翌年にアパルーサ・マネージメント(Appaloosa Managemen)をニュージャージー州のショートヒルズに設立。社名は、当時は人気だったギリシャ神話に出てくる馬の品種名のうちアルファベット順で上位にあった品種アパルーサを選んだそうです。

当時の注文処理はアルファベット順にファックスを受け取っていたため、最初にファックスを受け取るためには社名がAから始まる必要があるためだそうです。

ファンドは順調な成長をみせ、2003年には大企業の破綻で149%のパフォーマンスを記録。2008年のリーマン・ショックでも10億ドルとトップクラスの稼ぎを誇りました。

2011年にはファンドが巨大化しすぎたため、6億ドルを投資家に返還。ファンドの規模を120億ドルまで減らしました。

2013年には、航空会社に投資して42%の収益をあげ、ファンドマネージャーの報酬として35億ドルを獲得。2018年には母校カーネギーメロン大学に6700万ドルを寄付し、ビジネススクールを設立しました。

ファンド設定以来の平均リターンが25%を超えており、その手腕は陰りを見せていません。近年は、運用を安定させるため、100億ドル程度に運用資金を抑えており、ここ10年は毎年資金の返却を行っているようです。資本金170億ドルのうち7割部分が、テッパー自身の資金といわれています。

2019年には外部資金を返還し、ファミリーオフィスへの転換を検討していることが分かっています。

デビッド・テッパーの経歴

投資に興味を持ったのは11歳、父親が株式投資をしていたのを見たときだ。

ピッツバーグ大学で経済学を専攻。大学を卒業後は地元ピッツバーグの地方銀行であるエクイバンクで証券アナリストとして勤務。しかし入社後すぐのに社内の立場に不満を抱きました。不当な扱いの原因のひとつが学歴にあると考え、

1980年:カーネギーメロン大学のビジネススクールに入学
1982年:NBAを取得し、リパブリック・スチール社へ入社し財務担当に
1984年:ボストンのキーストーン社へ転職
1985年:ゴールドマン・サックスへ入社し、主にジャンク株を担当しチーフに昇進
1992年:ゴールドマン・サックスを退社
1993年に自身のヘッジファンド、アパルーサ・マネージメントを設立
2003年:ワールドコムなどへの債券投資で149%の収益率を記録
2008年:リーマン・ショック後の金融機関関連銘柄や債券投資で10億ドルを稼ぐ
2013年:航空株への投資で成功し、報酬は35億円に
2019年:ファミリーオフィスへの検討が報道される

デビッド・テッパーの投資スタイル

通常のヘッジファンドが投資対象をある程度分散するのに対して、テッパーは30程度の投資対象に集中投資します。それも、個別銘柄のみならず、ハイイールド債やディストレス証券などの方が多く、それらが割安になった時に拾うことが主流となっています。

「落ちている金を拾え」がテッパーの運用スタイルを形容した言葉です。

リスクの高い商品に投資を行うことも多いため、20%以上の損失を出したことが何度もあります。しかし、そのすべてにおいて6カ月以内に過去最高値に戻すなど、驚異的な挽回をみせています。

テッパーによると、「損失を出すことは悪いことではなく、勝つチャンスを失うことこそ悪。損失を恐れては大きなリターンを出せない」のだそうです。

勝つために、投資家の資金の一部を3年間ロックする条項を入れていたり、運用額を100億ドル程度に抑えるために投資家に返還したりと、様々な投資条件を整えています。

年間149%のトレード

テッパーが2003年に149%という驚異的な運用パフォーマンスを記録しています。

これは、当時としては史上最大だった三大企業の破綻(エンロン、ワールドコム、コンセコ)の際のディストレス債券の取引によるものです。

経営破綻や経営不振による財務危機に陥り、行き詰っている企業に債権がディストレス債券です。企業の経営再建が成功した際には大きな利益を獲得できますが、失敗した場合、損失が大きくなるどころかゼロにもなり得ます。そのため、ディストレス債券及び証券への投資は非常に難しく、通常の投資とは異なる知識や経験が必要となるハイリスク・ハイリターンの投資といえます。

この成功は、ゴールドマン・サックスでジャンク株を担当していたことが生きたのではないでしょうか。

ワールドコムは破綻後に米国防総省からイラクの携帯電話網構築のための契約を獲得。2005年にはベライゾン・コミュニケーションに買収されました。

リーマン・ショック

サブプライム、リーマン・ショックによる金融危機の真っ只中だった2009年2月。米財務省が金融機関への公的注入を発表し、米金融大手シティグループやバンク・オブ・アメリカなどの株価は国有化の噂で急落していました。

2月25日、米国財務省は「資本支援計画」のウェブサイトで、金融機関への公的資金注入に伴い米国政府が取得する優先株は、取引実勢をはるかに上回る価格で普通株に転換されると表明した。転換価格はシティで実勢よりも37%、バンク・オブ・アメリカでは21%高く設定されていました。

テッパーは「政府の声明は金融機関を国有化する考えはない」と分析。金融機関の株価が著しく過小評価されていることを転換価格が示唆していると結論づけました。

そして、普通株と優先株、下位劣後債を含めて金融機関関連の証券を物色。シティ、バンク・オブ・アメリカ、フィフス・サード・バンコープ、サントラスト・バンクスと買い進めていっきました。

また、政府管理下にある保険会社AIGとドイツのコメルツ銀行、イギリス金融大手ロイズ・バンキング・グループの債券も買い入れました。これがテッパーのいう「落ちている金」らしく、額面1ドルあたりわずか5セントで購入したケースもあったようです。

しかし1カ月後の3月初旬には、これらの銘柄はさらに値下げ、紙クズ同然となったものもありました。そのため、社内では幹部との衝突が絶えなかったそうです。

しかしテッパーは自分の考えを信じ保有し続けた結果、3月末には大きく反発。3倍ほどにその価値が増加。9月にはBOA株が330%、シティ株が223%にそれぞれ急騰し最終的に10億ドル(約924億円)を上回る利益を手にしました。

そして、テッパーはマネージャーとして40億ドルの報酬を獲得。2009年に、デビッド・テッパーは世界で最も高額の報酬を受け取ったことになりました。

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