2014年、アメリカのバーモント州でひとりの男性が亡くなったことが世界中で大きなニュースとなりました。
ロナルド・リードという名前の男性は、政府の要人や大企業の社長でもなく、大発明を行ったわけでもありません。典型的な労働者階級の低所得者だった無名の老人でした。
ニュースとなったのは、彼の遺産が800万ドル、日本円にして約9億5300万円もあったためです。
低所得者であった彼が、なぜ大富豪になることができたのでしょうか。
低所得者でも米国株投資であれば億万長者になれるという有名な話をお伝えしましょう。
ロナルド・リードの生涯
まずは、彼がどのような生涯をおくり、どのようにして大きな資産を築いたのか説明しましょう。
ロナルド・リードは、1921年にアメリカのバーモンド州で生まれました。
両親は小さな牧場を営んでおり、近くの高校までは片道6kmもあったそうです。
家族の中で始めて高校を卒業したのだそうです。その後、軍隊で5年間働き第二次世界大戦に参加。戦争終結後の1945年からは、兄とともに自動車修理工として働いたそうです。
しかし、会社が買収されて解雇されてしまったために、今度はガソリンスタンドに就職。そのまま定年までの34年間働き続けたそうです。
ちなみに、この間にお客さんとして来ていた女性と結婚しました。
1979年に定年退職となた後は、J.Cペニーという大手百貨店で清掃員として17年間働いたそうです。
彼が働いている間、自身の給料が日本円で30万円を超えた時は一度もなかったそうです。
37歳の時の投資をスタート
彼が投資を開始したのは、37歳と遅い時期だったそうです。
日課として、朝食に地元にある記念病院のカフェでコーヒーとピーナッツバター入りのイングリッシュマフィンを食べていました。
そこが閉店した後は、フレンドリーズというカフェで朝食を取るようになります。そこで、病院の開発部長と出会い、どうやらこれが投資を始めるキッカケとなったそうです。その開発部長は、地元の図書館を薦めました。
その後、毎週たくさんの本を読み、熱心に勉強しました。そこで出会ったのが、ウォールストリートジャーナルだったそうです。ここでの勉強が、銘柄選定の知識に役だったそうです。
最初は小さな金額で投資を始めたものの、徐々に金庫が株券でいっぱいになったそうです。
年をとり、健康が悪化して地元の記念病院に入院したときに、財産整理として弁護士を雇いました。
最終的に92歳で亡くなった時には、95銘柄を保有、資産額として800万ドルまで資産を増やすことができたのです。
資産の多くは、寄付を行ったそうです。
ロナルド・リード氏の遺産 |
家族や友人:200万ドル ブラトルボロ・メモリアル病院:480万ドル ブルックス図書館:120万ドル |
人物像
ロナルド・リード氏は、着ている服がぼろぼろだったという風貌から、ホームレスの億万長者と呼ばれることもあるそうです。
人の良い性格だったため、同僚と良い関係を築き信頼も厚かった模様。
ただし、性格は非常に質素。趣味は切手やコイン収集、そしてドライブでしたが、駐車料金をケチり、目的地から遠くの駐車場に車を停めることも多かったのだとか。
また、冬には安全ピンを使わないと閉じれないコートを着ていたそうです。
持ち家がありましたが、結婚した後に1万2000ドルで買った一軒家に生涯住み続けたそうです。
財産整理の際に雇われた弁護士は、古いコートに普通のネルシャツ、古い野球帽といった出で立ちであったことから、とても彼が多くの資産を持っているとは思わなかったそうです。それは、もちろん町の人も同じでした。
投資手法
ロナルド・リード氏は、37歳から92歳まで65年間投資を行いました。
総投資額は、およそ8000万円程度だったそうですから、10倍以上に資産を増やした計算になります。
その運用方法は、どのようなものだったのでしょうか。
投資手法 |
超長期投資、分散投資、配当再投資 |
銘柄選定 |
金融、一般消費財、電気通信、医療、鉄道郵送、公共事業などの優良銘柄 |
保有銘柄は95と多くにのぼり、高配当銘柄も多かったそうです。そして、銘柄に大きな偏りはなく、多数の企業に少しづつ投資するというスタイルでした。
そして、配当を再投資しけして売却しないという複利の力を最大限に生かしていました。
株式を保有し続けるというところは、ウォーレン・バフェットと共通しますね。
▼ロナルド・リードが保有していた代表的な銘柄
銘柄 | セクター |
ウェルズ・ファーゴ | 金融 |
プロクター&ギャンブル | 消費財 |
コルゲート・パルモリーブ | 消費財 |
アメリカン・エキスプレス | 金融 |
JMスマッカー | 食品 |
ジョンソンエンドジョンソン | 医療 |
VF | 消費財 |
マコーミック | 食品 |
レイセオン | 資本財 |
ユナイテッドテクノロジー | 資本財 |
ただし、自動車の修理工やガソリンスタンドで働いていたにもかかわらず、GMやフォードなどの自動車株はひとつも保有していなかったそうです。
そこには、専門家であった彼が米国の自動車企業はトヨタには勝てないなどの考えがあったのかもしれません。
もっと凄い低所得者の投資家、アン・シェイバー
ロナルド・リード氏の資産額を聞くと驚くのですが、実はもっと凄い資産額を残した人がいるのです。
その人の名は、アン・シェイバーというユダヤ人女性です。
1893生まれで、アメリカで監査人として働いていました。模範社員になるほど優秀であったにもかかわらず、女性であったために一度も出世することができずに、生涯年収が4000ドルを超えた時は無かったそうです。
彼女は1944年に退職した後には、株式と債権で運用を続け、亡くなった際には140銘柄を保有し、その価値は2200万ドルにものぼっていたそうです。
初期投資費用は、およそ5000ドルと言われていますから、驚きとしか言えません。
仮に退職時の51歳から101歳まで50年間運用を行っていた場合、その投資パフォーマンスは年平均で18%。同期間のS&P500は12.4%だったことから、とても素晴らしい運用成績といえます。これは、ウォーレン・バフェットに匹敵するほどです。
ブランド力があり、利益が増えている銘柄に投資していた彼女ですが、ロナルド・リード氏と同じように、決して売却しないという共通点がありました。
ウォーレン・バフェットは、コカ・コーラなどの銘柄を売却しないと宣言していることから、米国株投資で大成功するための重要なヒントとなりそうですね!