アジア通貨危機とは?通貨危機に至った経緯・原因もあわせて紹介

歴史的な金融危機は、株式市場だけでなく「為替市場」を舞台に起きることもあります。その一例が「アジア通貨危機」です。

アジア通貨危機とは何か、原因はなんだったのか、解説していきます。

1.アジア通貨危機とは?

アジア通貨危機とは、1997年7月に、タイの自国通貨バーツを中心に、アジア諸国の通貨が大幅に下落し、アジア諸国が大規模な経済危機に陥ったことを指します。

タイのほかに大きな被害を受けた国としては、「マレーシア、インドネシア、フィリピン、韓国」が挙げられます。なお、この5カ国はASEAN(東南アジア諸国連合)加盟国としても有名です。

当時、高い経済成長率を誇っていた5カ国で起きた通貨危機であったため、該当国のみならず世界全体にも大きな衝撃を与えました。

このアジア通貨危機の影響で、1998年には「タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン、韓国」の5カ国がマイナス成長となってしまいました。

◆各国の1998年における実質GDP成長率

タイマレーシアインドネシアフィリピン韓国
経済成長率-10.2%-7.6%-13.2%-0.5%-6.7%
前年比-8.5%-15.1%-17.9%-5.7%-11.7%

「輸出を中心」として経済成長を遂げてきたアジア諸国にとって、自国通貨価値の減少は致命傷となりました。

2.アジア通貨危機の原因と経緯

なぜアジア通貨危機が起きてしまったのか、その原因について説明していきます。

<アジア通貨危機の原因>

・アジア諸国の輸出産業の伸び悩み
・為替レートを固定する「ドルペッグ制」
・タイの経常赤字
・「強いドル政策」によるドル高

2-1.タイを始めとしたアジア諸国の輸出産業の伸び悩み

アジア通貨危機の社会背景として、タイを始めとした、アジア諸国の輸出の伸び悩みが挙げげられます。

アジア諸国の多くは、先進国への輸出業を中核として経済成長をはかるという手法をとっていました。特にこの手法が顕著だったのがタイです。

1996年までは、タイの実質GDP成長率も+5.9%と好調でした。しかし、1997年からドル高の影響が強まり、輸出産業の不振に拍車がかかったことで、タイの経済成長に疑問の声があがるようになりました。

◆タイのGDPの推移

出所:世界銀行

2-2.アジア諸国のドルペッグ制の採用

つづいて注目してほしいのが、日本、台湾、フィリピンを除くアジア諸国のほとんどが、米ドルと自国通貨の為替レートをドルに連動させる「ドルペッグ制」という制度を採用していた点です。アジア通貨危機の震源であるタイも、その例外ではありませんでした。

つまり、ドル安になれば自国通貨は安くなり、ドル高になればその分高くなるということです。この仕組みが、のちのアジア通貨危機に大きく関わってきます。

2-3.タイの経常赤字

タイの経常収支が赤字だったという点も重要です。

経常収支とは海外とのモノやサービスの取引、投資収益のやりとりといった「経済取引で生じた収支」を示す経済指標です。

当時のアジア諸国は経済成長の真っ只中であったため、海外からも資本を借り入れ、国内需要への投資を進めていました。そのため、資本収支は黒字でした。

また、海外の国々もタイやマレーシアなどの経済成長を信じて疑わず、進んで資本の貸し出しを行なっていました。

しかし、次に紹介する「強いドル政策」が引き金となり、このアジア諸国の経済成長神話は崩れていくことになります。

2-4.「強いドル政策」によるドル高と「ドルペッグ制」

1995年以前までは、ドル安で推移していたためアジア諸国の通貨価値とのバランスも問題ありませんでした。しかし1995年以降、アメリカは「強いドル政策」に舵を取るようになりました。

この政策は、簡単にいうと「強いドルが国益にかなう」という考えのもと、ドルの価値を高い水準でキープするよう努める、というものです。この政策の開始によって、ドル高が常態化していきます。

ドル高が進むと、タイをはじめとしたアジア諸国の輸出産業は伸び悩み始め、経済成長も鈍化していきました。

ドルペッグ制のおかげで、ドル高に伴い、タイの自国通貨「タイ・バーツ」のレートも上がっていきました。

しかし、タイの経済成長は鈍化しており、「タイ・バーツ」の貨幣価値は割高なのではないか、という疑問が欧米ヘッジファンドを筆頭に機関投資家のなかでひろがっていきます。

2-5.ヘッジファンドなどの機関投資家が空売りへ

このタイの実体経済とバーツの価値のギャップに目をつけたヘッジファンドをはじめとする機関投資家は、タイ・バーツに大量の空売りを入れました。

1997年5月中旬、タイはドルペッグ制を維持しようとバーツに大量の買いを入れて市場介入を行います。しかし介入する資金量が足りずに、1997年7月2日に「ドルペッグ制から変動相場制」への移行を強いられてしまいます。

◆タイバーツ(対ドル)の推移

こうしてドルペッグ制が崩れたことで、タイ・バーツをはじめとするアジア諸国の自国通貨が次々と売られ、アジア通貨危機へと発展していったというわけです。

3.日本への影響は?

アジア通貨危機により、日本も影響を受けました。

▼アジア通貨危機の日本への主な影響

・ASEAN諸国にある投資資産価値の減少
・融資の焦げ付き
・ASEAN諸国に進出している日本企業の業績低迷

当時の日本は、タイをはじめとしたアジアの新興国に、多くの企業が進出していました。とくにタイとの繋がりは強く、製造業に絞っても1200社を超える企業が事業進出していました。

また、貿易相手としてもアジア諸国とは強い関係がありました。1996年度の貿易額のうち、41%がアジア諸国との貿易が占めていました。その貿易先の経済が低迷するとなれば、日本経済も無傷では済みません。

加えて、通貨危機の中心となった「ASEAN諸国」にある投資資産の価値も減少し、現地に支社をかまえている企業へのダメージはかなり大きいものになりました。

そして、このアジア通貨危機をきっかけに、日本では「アジア諸国に投資することのリスク」の再検討がなされました。

4.まとめ

ヘッジファンドがタイバーツの空売りを仕掛けたことは、1992年にジョージ・ソロス氏がイギリス政府がポンドの価値を維持できないだろうと予測し、イングランド銀行に対してポンド売りを浴びせ成功したことが影響していると考えられます。

アジア通貨危機と似ている点は、不自然に高い通貨価値です。そのため、経済に歪ができてしまっていたのです。アジア通貨危機を引き起こしたのはヘッジファンドによる空売りと考えられていますが、いずれは調整される状況だったのではないでしょうか。

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